今日は会社員のころの話をします。
会社に入って2年目のときのことです。
大阪の船場(という地名)の繊維問屋(今風にいえば繊維商社)に営業訪問をしてました。
主な仕事は、その会社の輸出入の保険。
で、事務の書類を整えて、銀行やら保険会社や船会社との連絡窓口になる
部署のことを「船積み担当」という呼び方で呼んでいました。
ある取引先にいた50代後半にみえる「なんだかおとなしくて目立たないおじさん」
名刺もらっても、課長とか部長とか肩書きがない。
その会社の同じくらいの年の人はみんな、部長さんや重役クラス。
船積み担当ですが、日中いつ訪問しても明らかにヒマそうで、ずっとしかめっ面
してます。
僕にとっては、仕事の窓口になる人ですから、なんだかんだ天気の話や
ありきたりの話題を振りますが、ぜんぜんのってきてくれません。
当時の僕の上司も「あのひと大丈夫かなあ」などといってました。
ところがまる2年が経過して、、
僕が社会人4年目の春、出身地の話をしてみたら偶然同郷。
よく聞いてみると同郷というだけじゃなくて、同じ高校のしかも野球部の大先輩。
まる2年、話題がなくて「とりつく島もなかった」人とやっと話に花が咲きました。
それからというもの、僕がその「おじさん」を訪問すると必ず、その会社の地下にある
喫茶店に連れて行ってくれて、コーヒーをごちそうしてくれました。
朝早く行くと、なぜかゆでたまごもごちそうしてくれました。
それからは、今まで見たこともなかったような笑顔でいつも喜んで僕を迎えてくれました。
仕事の話はほとんどしてなくて、世間話ばかり(笑)
さて、
その年は、僕がいた会社が大々的に「年金保険」というのを新商品として販売するので、
がんばって一人でも多くのお客さんから契約をもらおう!というときでした。
でも、、、
なんと目標は、
「3ヶ月で20件」というそれは、まだまだ未熟な自分にとっては難しいノルマでした。
当時、貿易関連の保険は専門だったけれど、「年金保険」はまったく知らなかったので
正直困りました。
商品知識もないし、売り方もノウハウがない。。
で、いつものように喫茶店でその「目立たないおじさん」に、
「困ってるんですよー、どうしたらいいですかねえ?」
と、朝からぼやいてました。
で、、、ここから話は大展開していきます。
ほんとうにこの瞬間から一気に流れが変わりました。
もっというと、その後の僕の会社生活を変える瞬間だったと思います。
(おじさん)
「お前、今度パンフレットまとめてもってこい。ワシが全部話しつけたるわ」
こういいます。
正直うれしいなとは思いましたが、心のなかでは「ほんまかいな?」と半信半疑。
でも、だんだんわかってきたんです。
そのひと、おとなしいけれど実は会社のなかで人望がすこぶる厚い。
それも半端じゃなく、厚い。 みんなから好かれてる。
どの男性社員からも、女子社員からも、なんと社長さんからも。
秋の3ヶ月間一大キャンペーン。
僕はほとんど何もやってません。
でも、そのおじさんのおかげで20件のノルマはあっという間にクリアできました。
その会社を訪問すると、おじさんが僕を連れて、社内で一人ひとりに声をかけてくれます。
「おい、こいつワシの後輩や。一本契約つき合ったってくれや。」
この一言で「決まり」です。ほんとに決まるので、凄かった。。
社内にとどまりません。大会社の重役やら、普段なら絶対お目に
かかれないような人を次々と紹介してくれました。
仕事仲間からうらやましがられるほどあっという間に契約がとれていきます。
たぶん僕が自分だけで頑張っていたらほとんど契約はとれなかったと思います。
自信あります(笑)
で、時はめぐり3月。
全国各地に転勤が決まる、その発表の日。
当時は大阪にいましたが、北は北海道から南は沖縄まで
どこに転勤になるか分かりません。
どきどきしていました。
でも結局僕は、秋のキャンペーンの功績(おじさんの)を認められて、
東京本社の一番大きい営業部への転勤が決まりました。
で、そのおじさん。
東京に転勤することを報告したらほんとにうれしそうな表情で、
「よかったのう、おまはん。これからが大事やなー。」
といってくれました。
で、転勤直前にその会社を訪問した最後の日。一緒に昼ごはんを食べました。
おじさんがこういいます。 なんだか照れくさそうです
「あんなあ。ワシなあ、来月(4月)から大阪の繊維協会の協会長になるんや。
ワシなんかがなってもええんか、思うてなあ。悩んだんやけどなあ。」
(注:この手の協会はたくさんあってそのひとつです)
「え、なんで悩んだんですか?」
いろんな意味で、???マークが僕の頭のなかをよぎります。
課長でも部長でもないし、いきなりすごく偉い人になるの??
といった感じです。
でも僕が転勤した後、いろんな人からの話で、「ほんとのこと」がやっとわかりました。
この方、実は30年以上、アフリカやら中南米の国々に駐在して、体張って、
会社を支えてきた大功労者だと。みんなから尊敬される存在。
その武勇伝は社内の人ならみんな知っているとのこと。
で、日本に戻ってきたら、タイミング悪く、どこの部署の責任者のポストも
空いてない。
不遇な時期を過ごしておられたようです。
でもこの会社の会長さん(一番偉い人)から、
「ちょっと待っとってや。今はしんどいやろけどな、
必ず君のために最後の花道つくったるさかい。」
こう言われて、それを励みに毎日仕事していたそうです。
僕にとっても、自分のこと以上にうれしい出来事でした。
ほんとの親父のように慕ってましたので。
文字通り、当時の僕にもそのおじさんにも「春」がやってきました。
そして別れ。。
最後の別れ際にひとこと、
「おい、東京でも困ったら電話かけてこいや。なんとか助けたるさかい!」
とてもかっこいい「おじさん」。
今でもお付き合いさせていただいています。
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